2012年12月10日 (月)

アイデンティティー

これまでの私のルーツを棄てることに決めたから

物心つく頃からの自分。

これまで私を形作ってきた当たり前のもの。

染み付いて、消し去ろとしても取れない。

でも、決別をしないと気持ちは終わりにしように向かう。

だれにも、主治医にも理解してもらえない私の塊。

それを全部話さなくてもいいんじゃない?て主治医は言う。

違う。話しても無駄だから話さない。

大丈夫ではない大きな塊を飲み込んだまま

誰にも分かってもらえないから

また塊にフタをする。

全部理解してなんて思ってない。

でも、誰もいないんだと気づいた自分。

結局は誰も自分の本当の気持ちなんか

分からない、絶対言わない。

このコトバ小さい頃から持ってたや。

じゃあ、今も同じだね。

自分を決めるのは自分。

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2012年9月29日 (土)

あれから

白い壁の中に出来てる世界。

訳ありで皆ここにいるから深くは関わりが出来ないなりに、

何かしらの気遣いやら大目に見る習慣は外の世界にはないルールかも。

ここへ送り届けてくれた友人が居心地が絶対よくなるき無理でも外に出ないかん、と言ってた。

なんの事だか分からなかったけど今は分かる自分がいる。

外に買い物に出ると日差しが目にシミルぐらい強烈に感じる。

多分この温度差を言ってたのかな。

だからバスに乗って出かけてみる。

あれだけ車に甘えてた生活から、意外と歩くのも大丈夫な自分に気がつく。

初めて乗る路線。

ドキドキがなんだか早くなる。

あれっ?歩いてかいた汗が冷や汗になってる。

初めてみるバスからの景色がにじむ。

どうして泣いているんだろう?悲しくなんかないのに。

ボロボロとこぼれる涙が自分の現状を教えてくれる。

第三者がほらね、病気なんだよと言ってる気がする。

でも、ちゃんとバスも降りられて目的地にも辿り着けた。

あの感覚はなんなんだろう。

ちゃんと教えてもらって自分をつかまえとかないと。

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2012年9月23日 (日)

実感のないまま

現実逃避の5才から実年齢へ。
力を振り絞って現実に立ち向かう日。
まず主人と主治医が話合う。
私は最後に、お守りボールペンを握って思いを泣きながら伝える。
いきなりの現実に大丈夫かと、また人の事を考える。
だから、ズブズブとこの十年間が続いたんじゃない?
十年甘んじたんだから、もう解放してもらってもいいでしょ。
翌日には別れたくないメール。
でも死にたくなるのなら一時的に別れてもと。
もう、毎日死を考えるのは疲れた。
もう私の気持ちに気付いてよ。
物理的に守られた空間が有り難い眠りに連れてってくれる。

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2012年9月16日 (日)

ミリセンチメートル

入院から早、一週間。
まずは退屈になるまでボーッと過ごすと思ってた。
ところが主治医の診察時の提案は素早いというか、
私の気質を熟知しているのか、
状況が切迫しているのか行きなり本題に入った。
「ご主人との三者面談の前に、あなたの気持ちを綴った手紙を渡して。」
えっ、いきなり?
「早いほうが、えいろ?」
そんな大仕事、私に今出来るのか?
ただでさえズタボロになって入院してきたのに。
主治医の指示に困惑する。
もう、自分の意思では生きたいとは思えなくなってる私なのに。
とにかく、全力で書き終えた。
ちゃんと伝えたい事を書き綴っているだろうか?
不安ばかりが募り、頓服を何度ももらいに行く。
主治医のチェックの後、清書して渡すようにと
手紙を持って来てもらい、手紙に基づいて話を進めるらしい。
手紙を渡す事ちゃんと出来るだろうか?
渡す当日、買い物の帰りに地面がグランと揺れた。
「もう終わりにしようよ。何も感じなくていい、何も考えなくてよくなろうよ。」
私の解離が始まった。
実年齢が行使しよとする決断とひたすら泣き崩れる幼少の私。
午後からずっと病棟の廊下の隅っこで上着をタオルケットのように握って泣いていた。
入院患者や看護師の声に応じるのは舌ったらずな子供の声で「大丈夫です。すみません。ありがとうございます。」を繰り返す。
もうムリな状況でわざわざ外来から主治医に電話をしていた。
やっと来てくれた主治医「どうした?」の問い掛けに私は「四十二歳の人が、もう終わりにしようって言うの。ちゃんとブレないで頑張ってほしいのに。どうしよう?」と答えてた。
後はよく覚えてないが、説き伏せられて納得は出来たようだ。
退室する時には少し大人になっていたと思う。
担当の看護師も驚きましたと言うくらいの変化だったみたい。
この作業をいつも一人でしていたのだろうか?
子供と実年齢と第三者な自分。
お酒を飲むと子供みたいに、はしゃぐのは欲求だけだから。
実年齢は抑制、理性、自制的との説明。自分で自分を見てる感じ、もう破錠はとっくに始まってたかも。
夕方、ちゃんと主人に手紙を渡す。
もう子供じゃなかった。
こんな一日の成果を1ミリセンチメートルにも感じられない自分、鈍麻も始まってる。

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2012年9月 8日 (土)

逃げたかったんだな

診察日が次の日なのに前日にまで入院の手配をしてくれた。
その後押しに今回は素直に乗っかってみた。
2、3ヶ月の入院。
その期間で新生活へ切り出す予定。
自信は全くない、ただ後押しを信じただけ。
どうなるんだろう。
もう帰る所はない。
病院がこれからのホーム。
一歩踏み出したんだもの、絡み付くものからとにかく今は逃げよう。
自分の意思で。
後ろがないなら前にとにかく手を伸ばすしかない。
なんて書いても涙がでる。
もう一度生きてみたら?
白い部屋から始めよう。

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2012年8月25日 (土)

とにかく今出来ること

ずたぼろ診察から一週間。

もう、なにがなんだか分からない。

あの人(実の母)のことは置いといても

もう限界な毎日。

こんな自分でいいの?こんなんじゃないじゃん自分!

と言う自分と。

もう、この現状を打破する力はない。これ以上頑張れない。

と今を受け入れて自分殺してる自分に戻ろうとする自分。

毎日気がつくと「お父さん~助けて。先生助けて!」の

繰り返し、次へ何をどうしたらいいのかあ?さえも見えない。

望んでるこれからのことがあるのなら何故、

自分でとらえて行こうとしないのか?

なにが自分を躊躇させてるのか?

私が自分の行動で示せないなら、

やはり生活を切り分けるためにも

入院をすすめてくれる。

「自分ひとりと思いなよ。助けてくれる人は周りにいるんだから。」

「話もここで僕が間に入ってしてもいいし。」

ありがとう。もう、このことばしか出てこない。

今出来ることを終えて、九月半ばには入院になりそう。

その頃には気持ち、ちゃんとつかまえれてたい。

ほんとうに先生に感謝。

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2012年8月17日 (金)

後の祭り

人生初の挑戦もあっという間に終わり

六月半ばからの汗だくな日々も急になくなって。

とっても楽しかったし、充実してたし

自分でもよくやったなって思える。

けど、余韻が無さすぎる自分。

もう何か月も前の事のよう。

これって前も見えてないのに、振り返る後ろもないってこと?

現状の毎日が、とにかくやって来る。

月曜の診察は主治医の夏休みもあって

かなり長く時間をとってくれて

今を回避するために入院を勧められた。

「とにかく今は実行しないこと。

それを避けるためには必要かもよ。」

とにかく予測してた喪失感は思った以上で

診察を終えても帰れずに廊下の離れたイスに座り込む。

だだ泣きで小一時間は居たかも。

診察を終えた主治医も見かねて

「来週はちゃんと来てよ。いいかえ?」と声をかけてくれた。

普段ならとりあえずは病院をあとにできるのに

今はそんな力もない。

気持ちを切り替える力もない。

茫然と窓のガラスを眺める。

もう病院も閉まってしまうくらいの時間が流れてて

また「入院する?」と声が聞こえる。

結局自分の出した答えは

「もう何も考えたくはないし、感じたくはない。」

ってリスパダールを鞄から出してた。

先生も同意してくれて追加で次回の診察まで出してもらう。

なんでこんなにって思うけど

そこには母の信じられないコトバがあったから。

父の友人が北海道にいて

毎年季節の物を送ってくれてた。

今年も果物を送ってくれてて食べごろだから

取りに来てと実家からの連絡があった。

なにげなく「お父さんの事ちゃんと話した?」なんて

当たり前のことを聞いて見なければよかった。

母は「言ってないわよ。だって色々後が面倒でしょう?」

「え?お父さんが亡くなった

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2012年7月21日 (土)

楽しいのに苦しい

今年は人生初のことがイロイロ。

もちろん父との駆け抜けるように過ぎた時間に始まり

主治医との関係性にも初めてのことが。

父が亡くなった喪失感。

これからどうやって毎日こなして行けるのか?

と思っていた頃に人生初のチャレンジをすることになった。

なんか41年間生きてきて初めてって

自分のことながら無鉄砲だと今頃思う・・・。

主治医の説明によると

自分は自我の上の超自我(道徳とか)が強くて

欲動(欲求)が抑え込まれてきたんだって。

で、好きでやりたいことも禁止されてるから

このチャレンジは大きなことだよ。とのこと。

ほほう、納得だから無鉄砲だけど充実感はある。

でも、このことをまだ自分が許せてなくて責めてるから

家事をかなり頑張ってこなしてる自分がいる。

で、今までダメと思ってたことを今すぐ容認なんて

出来ないから自分を責めるんだよと解説してくれた。

ほんと、そう。

周りの誰かじゃなくて自分が自分を苦しめてる。

これは、これから何か新しい自分がやりたいことをする時に

同じように出てくるらしい。

それは、その時考えればいいよとのこと。

なかなか自由にはなれないんだなあ。

でも進むしかない。

これだけは曲げない。

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2012年6月20日 (水)

痛々しい自分

この感覚はなんだろう?

週に二回の主治医の診察と二週間ごとの心理面接。

数日持ち堪えるための診察。

今の自分の状態は解離だって。

ずっと前から繰り返してた状態。

自分の言葉では「ブレーカーを落とす」だけど。

今は底を這いつくばってる感じ。

家での状態だけって思ってた。

心理面接では二週間の流れを話す。

主治医とは違い、確かめるように事実を確認される。

今の状態を説明すると「なんか手放しでは喜べないような。

とっても痛々しい感じですね。」って言われた。

目からウロコとはこのことかも。

ああ、そうなんだ。

このやりきれない気持ちってそういうことか。

今までにない自分の深層心理をえぐられる感じ。

また自分の気持ちをまた蓋をして

平気なふりをしてしまってる。

だから痛々しいんだ。だって痛いんだもん。

痛いのに痛くないって我慢する。

この癖どうしたら直るんだろ。

ふたりの先生の前にいる自分どっちが本物?

たぶん主治医には頑張ってるって思われたい自分がいる。

また、我慢するの?

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2012年5月24日 (木)

気持ちのままに

これから父さんの終末医療をどうやって支えていくか

これがこれからの母と私の毎日になるはずだった。

余命三ヶ月から六ヶ月、もっても一年。

だから、父さんが何をどうしたいかを一番に考えて。

父さん自身もこれからの時間を考えていた。

だから父さんが注文していた野菜の苗が

父さんが亡くなってから届いた。

祖父母の暮らしていた家の裏庭に苗を植えて

「おまえが世話して、収穫したらいい。」って言ってたね。

父さんが亡くなってから一ヶ月半。

裏庭は小道も見えないぐらいに一面のドクダミ。

今日はとにかく小道が分かるように

ひたすら草抜きをして、やっと庭の奥までたどり着けた。

そこは山肌まで、ぎっしりのブライダルベール。

思いは小学校。

夏の絵の宿題に六年の時になぜか家の鉢植えを描いた。

それが沢山の花をつけたブライダルベール。

父さんが持ってきたのかな。

どんな庭にしたかったのかな?

何も聞けてなくって悔しい。

父さんの気持ちになって穏やかに向き合ってみよう。

まだまだ涙は涸れないみたい。

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